


ミストラは、スパルタの王レオニダスが300人の兵とともにテルモピレーで玉砕した頃より約2000年後の中世末期に、ビザンツの有力都市として栄えたスパルタの跡です。
つまり中世のミストラとは、その4キロ東にある本来のスパルタと同義語だったのです。
いまはオリーブとレモンとオレンジの林に囲まれた城塞都市ミストラは、13世紀の半ば、ラテン帝国を建設した第4回十字軍の一貴族が建てたもの。
この地名メジトラをもじり、その貴族が故郷フランスの方言ミストラに変えたのです。
"愛人"という意味です。
この"愛人"はビザンツとラテンとの抗争のなかで、ビザンツの所有となります。
そして14世紀から15世紀にかけて、ペロポネソスの首都としてビザンツ文化の花を咲かせました。
曲がりくねった細い通りに沿ってあちこちに教会、僧院、宮殿、家々が並び、それらがいかめしい城塞に囲まれ、メジトラの丘の斜面に崩れ残っている様は、空が昔ながらの清澄さをたたえているだけに、何か突き刺すような痛みを胸に与えずにはおきません。
急坂はラバの背にまたがって、その盛衰の跡をたどります。
この"愛人"をつれなくも捨て去ったのは、ビザンツ帝国を地上から消したオスマン・トルコでした。
